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2012/09/19

栗の想い出

生涯でたった一度だけ 栗ひろいに行った事があります

幼稚園の遠足ででした

今日は栗ごはんにしようかしら  なんて言いながら

母は 幼稚園に行く私を見送りました



栗畑は 山の斜面にありました

草と落ち葉で覆われた斜面に 栗の木がありました

八百屋さんで売ってるような栗を探しましたが ひとつもありません

どうも 栗と言うものは イガの中に入って落ちているものだと

友達が拾ってるのを見て知りました

けれど なかなか見つけることができません

今思うと 幼稚園で遠足で行くのだから 栗園の人が園児が拾えるくらいの

栗を適当に置いておいてくれてもよさそうなものなのですが

当時はそんなサービスっぽいものはありませんでした

しかも かなりの勾配の斜面 葉っぱばかり落ちてるところを

しゃがんでかきわけて毬栗を探すのは 一苦労でした

もうすぐ集合時間だという時に やっと2個だけ 私は毬栗を見つけることができました



ところが 同じクラスの生田さんが まだ1つも拾えていないとのこと

先生が私の所に来て知らせてきたのです そして

「なっちゃん 生田さんに1つ分けてあげてくれない?」 と言いました

何も言わず 生田さんは淋しそうな顔で立っていました

私の手にあった栗は 大きいものと 赤ちゃんのように小さいものの2つでした

私は大きいほうの栗を 生田さんに差し出しました



家に帰ってから 私が家族の前に出したのは 小さな小さな毬栗でした

母は1個しかないことを笑っていました

そして その日のいきさつを そこにいた母と祖母に話すと 祖母が

「あんたはアホやな!なんで2個しかないのに大きい方あげるねん」

呆れたような顔で私をどなりつけました

「こんな小さいもん 開かへんわ!! アホやな!!」

悲しくなりました

私がしたことは間違っていたのかな?って

母が栗ごはんだと楽しみにしていてくれたのに このイガは開かないの?って

実際に その毬栗は 何日たっても開くことはありませんでした


のちに母に聞きました

おばあちゃんに言われたけど 生田さんには小さい方をあげれば良かったのかな? と

すると母は 

「なんで なっちゃんは生田さんに大きい方をあげたの?」と聞きました

「大きい方が生田さんうれしいと思ったから・・・」と答えると

「じゃあ 小さい方をあげて 栗が開かないのを見たら 生田さん悲しむよね

 生田さんが悲しい思いをしなかったんだから 大きい方をあげて良かったんじゃない?」

と母が言ったのです

そうだよな 小さい方をあげていたら 私からもらったと喜んでいた生田さんが

反対にとても悲しい気持ちになってしまう それは嫌だな

その時私は そんな風に思いました

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毬栗を見るたびに いつもこのことを思いだします

今から40年も昔のことです

今でも母の教えは 私の心に染みついていると思われます



 

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コメント

ちょっと言わせてもらっていいですか?
おばーちゃん、ばかちん!!!
幼いなっちゃんの気持ちも考えんとー!!!
私もね、いつもそうだった。今もそう。
最後の1個、自分の大好物でも それを美味しそう、と言う人が
いたならば、はい、どうぞ^^って差し出してしまう。
ほんとは、まだまだ食べられるのに、もう、おなかいっぱいだからって
言って^^;
人によってはお人よしとか、要領悪いとか、いろいろ言うけれど
相手が喜ぶ顔を想像したら、やっぱりね、そうなるよね^^
その場にいたのが なっちゃんと私だったら どうなったろう?

はい、これkeiさんにあげる・・・
いいよ、いいよ、なっちゃんもって帰りなよ。
いいってば、私はこっちがあるから大丈夫。
じゃぁ、そっちの小さい方をもらうよ^^
いいよ、Keiさん大きい方持って行きなよ^^
なっちゃんが大きいの見つけたんだから、なっちゃんが大きい方!

なーんて。
世の中世界中が この二人みたいなら争いごともなくなるだろうにねー^m^

投稿: Kei | 2012/09/20 02:33

昨日、月に1回の検診のため母を病院へ連れて行きました。
一人では歩けないので、母の両手を引いて少しずつ少しずつ歩かせて。
いつもは妻にまかせっきりなので、せめて病院ぐらいは自分の手でと思って。
時々、面倒くさくなってきついことを言いそうになることがあります。
でも、そんなとき母が小さいとき自分にしてくれたり、言ってくれたりしたことを思い出して
はっとして思い直します。
お母さん・・・・するこということみんな子どもの大きな力になるんですね。
とてもいい文章を読ませてもらいました。

投稿: イッペイ | 2012/09/20 10:36

>Keiさん
思いっきり浪速気質のおばあちゃんだったからね
損か得かで動く人
はっきりものを言うのも 大阪人の特徴です
ま そんな中でも かなり意地悪できつい性格の人だったけどね^_^;
うちの母は信州の人で 大阪へは結婚してやってきたから やはりなんだか
周りの人とは違った感じでした
私は小さい時から 言葉もハーフだったし 母の影響はよく受けていたと思われます


要領が悪い・・・か・・・
この言葉を見て いろんなことを思い出しました
私は Keiさんのように 要領が悪い と思われていたのかもしれないって
今になって沢山の事を思い出しました 今になって(^◇^)
でもなー それが自分にとって損なこと だとは思えないんだよね
損って・・・私の辞書には載ってないのかってくらい 私が使わない言葉で
損をするって感情になることがないっていうか 損をしてるって思う心が嫌で
「損」って一体なんなんだ!!!って言いたい人で


人の気持ちというものを考えるのと考えないのとでは
行動って大きく変わるのだろうね
でもそういうのって 幼い頃からどう思って過ごしてきたかに左右されるのではないかなって
写真友達のko-ki.くんが最近言っていた
「根っこは変わらない」って
そして 気性の激しい祖母も常に言っていたよ
「三つ子の魂 百まで言うてな~今が大事なんや」 って・・・

投稿: To Keiさん by奈月 | 2012/09/23 23:11

>イッペイさん
義理の父とその母のことを思い出しました
義理の祖母・・・は2年前に102歳で他界しましたが
最後の1年くらいは 義父が支えて一緒に歩いたり病院に連れて行ったりしていました
けれど やはり私がよく目にするのは 義父が祖母を怒鳴りつけてる光景
耳がほとんど聞こえなかったのでね 祖母は 義父はとてもイライラした口調で
何をするにも怒りながら介護をしていました
好きで老いていくのじゃないのに・・・そう思って悲しい気持で二人を見ていました
でも義父も祖母の事が嫌で怒っているのではないと思いました
そして祖母も 義父のことを悲しい思いで見ているのではなく
自分がそういう姿であることを悲しんでいるだろうと思いました
私は母親なので いくら年が違っても 母としての思いと言うのは
わかるような気がするんです
イライラしてる義父を 昔と変わらぬ思い 自分の「子供」 として見ていたことと思います
年老いていくと 人は子供に返る のでしょうね
姿は大人でも 手のかかる子供と同じようになっていくのだと思います
自分にしてくれたように今度は 自分の子供のような気持ちで
添ってあげるといいですよね
これからが本当の親孝行かもしれませんね

投稿: To イッペイさん by奈月 | 2012/09/24 21:59

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