« 無事帰りました | トップページ | COAST »

2015/10/27

母校へ

父の手術は2時過ぎだと言う話だった
昼ご飯を食べてから病院に行く約束になっていた
だから この日の朝もう食欲もないほど体調が悪かった私は 医者に行っておくことにした
行先は 決めてあった
T内科眼科
ここは 高校時代1番仲が良かった 良子の家だ
良子の父親が内科医で 母親が眼科医をやっていた 医院兼自宅となっている
良子とは 卒業式以来会ってなかった 連絡もとった事がなかった

行ってみると 内科は午前中は休みで午後からの診療だと言われた
それで受け付けの看護師さんに
私が良子の同級生であること・30年ぶりにここへ来た事・何度か泊まりに来たことがある事・お母様ともお話ししたかったと言う事 を告げた
するとなおさら 午後から来てください とのことだった 午前中の眼科は代診の医者が来てるらしい
午後からは手術があるので それは不可能だった
看護師さんに言われ 紙に名前だけ書いて置いてきた 

そのままどこへ行こうか悩んで 近いのはヨットハーバ- でもここはつっちーと撮りに行く場所
ひとりで行く気にはならなかった 
そこで 自分が通っていた高校に行ってみることにした
そこも卒業以来 1度も訪れた事がなかった




1img_0147


車を運転して来た事なんかない いつも歩いていた 駅からまっすぐ細い道を歩く

そこを津高ロードと言った

登下校時間帯は 車などは立ち往生してしまうくらい 津高生が我が物顔で道ぎっしりに歩いていた

そこを車で走った 10時過ぎだから登校してる人もいないだろうし

3年間しか歩いていない道だから ほとんどの建物に記憶がなかった 昔からあろうものでも・・




1imgp3065


あーなんか懐かしい なんとなく思いだしてきた

一応 事務所とやらに行って 卒業生である旨を伝え 校内を見せてもらう許可を得る

もちろん校舎外だけである




1img_0144


ここも懐かしい 靴箱だ そしてここの傘立てでお気に入りの傘を盗まれたのだった

カモの顔が持ち手になった傘だった

知っている男の先輩がその傘を持っているのを見て 問い詰めたら 自分のだと言い張るので

カモの顔のところに彫った名前を指さして 私のです!と睨みつけて返してもらった・・こともある^^




1imgp3037


ここは中庭で 対面にも校舎がある

私の教室はいつも2階か3階だったので 中庭で過ごすことはあまりなかった

奥の渡り廊下に近い教室が多かったので あの渡り廊下の3階部分でお弁当を食べたりした




1imgp3045


校舎には入れないし 中庭に沿った教室の前を通るわけにもいかない

ちょっとこそこそと歩きながら 見て回る

すると高校生の姿を見かけた




1imgp3040


絵を描いている

美術の時間の子たちだ

芸術の学科は 美術と音楽と書道があって 入学時に1つ選ぶ

私も美術を選んで3年間油絵を描いていた

美術室でクラスメートを描くこともあるが 外へ出て校内の風景を描く事もある




1imgp3042001


なんで美術なんか選んだの?あほやなー と言われた事がある

その子は音楽を専攻していた 音楽は1番お金がかからないからだと

書道もある程度買いそろえるものがあるけど 音楽は何もいらない

なのに美術なんて油絵のセットだけで1万円は軽く超える 

私は親不幸だったのか?と思ったが いやいや 油絵なんてなかなかできないでしょ と思い直す




1imgp3051


それにしては少ないなー 絵を描いてる子

美術選択する子は 減っているのかな

そのうちの一人の男の子に話しかけてみた

「購買では今でも津高ノートって売ってるんですか?」

さっき購買の前を通ったら 店の人が不在だと札がかかっていて 覗き込んでみたけど

津高ノートが見当たらなかったのだ

私は昔 良子といつも 津高ノートを買って使っていた

津高ノートを使っている子は 滅多にいなかった みんな普通のコクヨとかの大学ノートだ

そしてみんな適当にかわいい文具を使っていたが 私たちは結託して

黒い革のジッパーつきのシンプルな筆入れに Hの鉛筆 文具メーカーの真っ白な消しゴム 鉄製の小さな鉛筆削りだけ入れていた

シャープペンシルではなく鉛筆を使っていたのは 私達くらいだった

そして津高ノート

グレーの表紙で真中に津高と校章が入っている 糸で留めて仕立ててある良い物だった

当時でも1冊170円もした

「津高ノート???」 と男の子は聞き返してきたが 「校章が入った大学ノートです」と説明したら

「あーありますよ」 との返事

購買の人が帰ってくるのを待って 買うことにした

しかし 手に入ったのは 私の知らない津高ノートだった




1img_0150


なにこれ? 普通のノートじゃん しかも90円だった

購買の人は 当然30年前にいた人ではなかったし そんな古い事も知らなかった

でも 校舎が新しくなったり 取り壊されたとか そういう話しを沢山教えてもらった

今は9クラス360名だそうで 私達のころは10クラス450名だった そうも変わっていない

今でもいい学校ですよ とその人は言った

私も「この学校を卒業したと言えるのが いつも誇りなんですよ」 と言った

ゆっくり見て回ってください と言ってくれた購買の人に頭を下げて別れた




1imgp3058


校庭の方に行くと クラブハウスが見えてきた

運動系の部が使う部室だ

私は体操部にいたが この部室を使っていたかどうか記憶がない 体育館の一室だったような気もするし・・・

でもここのクラブハウスは 入学してすぐに入ったラグビー部のときに毎日使っていた

もちろん マネージャーをやっていただけだ

マネージャーって言っても スクールウォーズみたいな熱い部ではないので

毎日毎日部員の汚れたユニフォームや靴下を洗濯する係 なだけだった(^^ゞ




1imgp3059


とても懐かしい気持ちでいっぱいだった

知ってる先生はいないし いろいろ変わってはいたけど 沢山の事を思い出して

私にはこんなにいろんな思い出があったのだなって 

多くの人たちの顔が浮かんできた




実家に行く事はあっても 高校に行く事はずっとなかった

実家からはとても遠いし 誰かと一緒のときに 母校に行きたい とは言えなかった

今回 ひとりで津に行った 学校の近くにホテルをとった

私は ずっと 学校に行きたかったのかもしれない と思った








人気ブログランキングへ

|

« 無事帰りました | トップページ | COAST »

コメント

ご苦労さまでした 大変でしたね
ある程度の年齢になると体のどこかが悪くなるのは
人間として当たり前なのでしょう
それでも 家族にとっては大きな心配事です

お父さんの立場にたって言えることは
自分よりも子どもや孫のことの方が大切なんだから
無理はするな・・・

自分も癌の治療に毎月札幌へ通院しています
娘は会うたびに「大丈夫」と言ってくれますが
俺の心配するよりも自分の心配をすれ・・・と
言っています

ある人が言っていました 昔を思い出すことは
これから生きる 大きな糧になるのだと
だからお年寄りは最近のことは忘れても
昔のことはよく覚えているのだと

投稿: イッペイ | 2015/10/27 09:00

その後お父様、奈月さんの体調はいかがでしょうか。
快復なされたかな?
私の母も最近大腸のポリープを除去しました。
内視鏡で切除するとのことだったので、大したことないだろうと簡単に考えて、
詳しく母の話も聞かなかったし、遠いので付き添いにも行かなかったのでした。
後から聞いたら入院しての手術だったとのこと。
お父様と同じですね。
入院するようなことなら遠くても行ったのに~と思っても後の祭り、
風邪で具合が良くなくてもちゃんと付き添えた奈月さん、えらいっ
お父様も矍鑠(かくしゃく)としてらして素敵な方ですね。
高校。。。卒業してから一度も行ってないな
良子さんとはまたいつかきっとお会いになれると思います。
旧交をあたためてね♡

投稿: サファイア | 2015/10/27 23:35

>イッペイさん
自分よりも子供や孫の方が大事・・・って言うのを読んで そうなのか と 初めて思いました
私ももちろん 自分の事よりも子供たちの事が何よりも1番に考えているのですが
父が私たちの事をそんな風に思っているとは 考えた事が なかったかもしれません
でもこの度 びっくりしたのは 私が自宅に帰った翌日に 父から電話があったことです
ほんと昔々 私が独身で 母もいる実家に帰ったりしていたときは 名古屋に戻ると必ず 着いたよと電話していました
でも今は 無事着いたと言う電話なんてしなくなっていたし 向こうからもかかってくる事はありませんでした
こないだも 家に着いた時には連絡など互いにしませんでしたが 翌日にかかってきた父の第一声は
「体調悪かったし 大丈夫だったか?」 というものでした
とてもうれしかったです 私は父が自分の事を話しに電話して来たものだと思っていました

私達父子は これまでにいろいろありました きっとイッペイさんがびっくりするような関係だったと思います
それでも私の中では 親子なんだから 一生親子なんだから・・・と言う思いがあって
おそらく父もそうだったのではないかなと 今になって思います
今回入院先で 父と話す時間がとてもたくさんありました
目からうろこのような話もとても多かったです
そして 父の事を とても好きだと思えました 
お正月にしか 会うことはありませんでした 年に1日だけです
しかし 今度の日曜に また会いに行こうと思っています 子供たち連れて・・・
何度も入院経験があります しかし退院したらそれまででした 何かあったら行こう と言うくらいにしか思ってませんでした
でも 父への思いが 今回 かなり変わりました

投稿: To イッペイさん by奈月 | 2015/10/29 10:47

>サファイアさん
ご心配いただき 本当にありがとうございます
昨日父から電話がありました 採ったポリープの培養結果が出て知らせてきました
良性だと言われていましたが 悪性の部分もあったそうです
えー・・・・と言葉に詰まりましたが 父は 綺麗に採ったから大丈夫なんやって と軽く一言
採る前に別の場所に転移して行ってるってことはないの?と聞いたんですけど それはないやろー(^^ゞ って・・・
採ったから大丈夫 なんてさーだったら最初から良性か悪性かなんて検査する必要ないじゃん!と言ったら
まぁ悪性の部分があったから 今後半年ごとに大腸の検査をするように言われたみたいで なるほどー・・・と

そうか サファイアさんのお母さんも同じ手術をしたばかりなんですね
そうそう 手術と言っても内視鏡で採るもんで 手術室に入るわけでもなく 検査室とかだったですよ うちも。
40分くらいだと聞かされていて 肺がんの摘出のときは何時間だったろう・・?予定よりもかなり長引いて6時間かかり
後から医者に この年齢で良く頑張りましたね 元気な方です なんて言われたので 
40分って 短いなー やっぱ簡単な切除術なんだろうなーとは思いました
私の場合 入院してるところへ行って初めて 手術室ではなく内視鏡検査室だと聞いたり 父から聞いた最初の段階で
普通に手術だと思っていたので(父も)当然のように付き添いに行った次第です
でもさー 内視鏡って言っても 私も大腸の内視鏡検査は2度やってるんですけど 検査終わって帰ってきて・・・
だるくて家の事なんてできないですよね 体に何か入れるってダメージあるんだなーってこないだ思いました
それが切除するとなると 翌日退院して はい元通りですって言う風にはならないと思うんです
自分が手術経験が何度かあるのでそれは分かるのだと思いますけど しかも いくら簡単な手術でも やはりね
ひとりで病院に行ってひとりで過ごしてひとりで帰ってくる なんて きついと思うんですよねー
サファイアさんのお母さんは きっとサファイアさん以外にもその時そばについていてくれる人がいたと思うんですけど
けど入院ってなると サファイアさん そばにいてあげたかったでしょう・・・
あー なんかまた色いろ思いだしてしまいました 手が止まってしまいます

良子とはいつかきっと会える・・・実はそんな風には思ってなかったです
あの日会えなかったから もう会うことはない だろう って
良子が実家に住んでいるのかどうかは知らなかったけど あの日は良子に会えるかもという期待もあって行きました
卒業式以来 仲の良かった良子に1度も連絡をとらなかったのには 思う事があったからなんですけど
30年もたてば 今度会ったときに その思う事が一気に払拭するんじゃないかなんて考えたりもして
そうなればいいな なんて思って・・・・でも 会えなかった訳ですけど 良子一家に会えなかったことは
やっぱこういうさだめなんだろうなんて思って 会うべきじゃないのかもしれないな って・・・
サファイアさんに いつか会えると言われて・・・それはね うれしかったです
似たようなことを経験されたのかなーなんて思いましたが 古い友達に会うと言う事がきっとまた自分を幸せにしてくれるのだろうな
とも思えて サファイアさんはそれを教えてくれてるんだなって思いました

私は 津が嫌いでした だから名古屋に出てきてしまったし 帰省もほとんどしなかったです
中学高校と津にいましたが 中学高校の友達に会いに津に行った事が30年の間1度もありませんでした
結構わざわざになるんですが 良子んちで受診するっていうのは それをしようと思った私 これもなにかあるのではないかと言う気がします
そういう自分がいれば きっといつか良子に会えるのではないかと思います
今回の津行きは 自分を変えるためのものだったのかもしれないと おもえたりします


投稿: To サファイアさん by奈月 | 2015/10/31 03:15

この記事へのコメントは終了しました。

« 無事帰りました | トップページ | COAST »